セカンドステージ

2016年5月27日(金)

筑波大学附属病院を受診してきました。神経再建という第二ステージの始まりです。

最初の診察ということで、担当のドクター以外にインターンも含めて3人が応援に来てくれました。

ちなみに、この前に脳神経外科にも寄ってきたのですが、脳外科のドクターも、整形外科のみなさんもレントゲンを見ては一様に「すごい大ケガだね~」と驚いてくれました。

ずいぶん大掛かりと思ったら、先生が他の患者さんを診ている間に、応援の3人で、いまの状態を細かくチェックするためでした。

最初に筆を使って感覚をチェックしました。

左肩のあたりを筆で触って、感じなくなる境界を探して印をつけていきます。最終的には感覚がマヒしている部分のマップができました。


次に可動部のチェックです。

各関節にどの程度の力がかけられるのか、リストに従ってチェックしていきました。

腕や肩を、曲げたり伸ばしたり回したりしながら、筋肉の動きと力のかかり具合をチェックします。指の関節ひとつまで細かくチェックしました。

今日の診察の結果によると、上位型の神経叢損傷である可能性が高いということでした。先生にいただいた資料によると
上位型: 
肩の挙上、肘の屈曲が不可能となり、肩の回旋、前腕の回外力が低下します。上腕近位外側と前腕外側に感覚障害があります。
となっています。確かにこの通りです。

今後の治療方針ですが、まず骨折を直すことを最優先に、リハビリと検査を行います。

リハビリは家から近い方が良いだろうと、地元のつくばセントラル病院あてに紹介状を書いてくれました。

手術をするかどうかは、事故後3カ月経ってから決めるそうです。ショックで一時的にマヒしている場合なら、3カ月ほどで自然に回復するからだそうです。

もし手術になったら、肘は「スタインドラー法」で、肩は「肩関節固定法」で再建することになりそうです。


廃車

2016年5月24日(火)

事故後、初めて、壊れたバイクを見ました。

バイク屋さんの説明によれば、フロントフォークのダメージも大きいですが、ステアリングヘッド付近にシワができているそうです。

つまり、フレームからの修理が必要なので、いわゆる全損だろうということなので、廃車してもらうことにしました。

いろんな景色をたくさん見せてくれて、今までありがとう! XJR1300!!

退院

2016年5月22日(日)

北信総合病院を退院して、一時帰宅しました。

病院のスタッフさんたちも、会う人会う人が「いよいよ今日だね~」と言ってくれます。

救急車で運ばれてきたのが4月23日なので、ほぼ1か月間の入院生活でした。

確かに1日1日は長く感じる日も多かったですが、終わってみれば、あっという間の1か月間でした。

1か月ぶりの我が家にも、それほどの感慨が湧かなかったのは、自分でも意外でした。

でも、久しぶりに6時過ぎまで寝ることができました。

病室は4時過ぎると明るくて、もう一度寝ることができませんでしたから。

# この投稿は記念すべき100番目のエントリーのようです。


脳神経外科

2016年5月20日(金)

MRIで頭部をスキャンしてもらい、脳神経外科を受診しました。

MRIの結果は良好で、硬膜下血腫の痕跡がわずかに見られる程度ということでした。

実際、以前のように起き上がっているだけで頭が重くなるようなことはなくなりました。



以前と変わらないのは、一回の睡眠が短いことです。

どうしても2~3時間で目が覚めてしまいます。

抜去手術

2016年5月19日(木)

数週間連れ添って、すでに体の一部となった創外固定具を外す日が来ました。


器具は手術によって抜去されます。

同時に手背のピン2本も抜針するので、合計6本のピンを骨から引き抜くことになります。

前日にドクターから手術の説明をうけたのですが、

「局所麻酔を打ちながらの手術になるけど、骨までは麻酔が効かないから、ちょっと痛いかもしれない。」

と、いきなり脅されて少々ビビり気味で手術に臨みました。

前回の手術はベッドごと運ばれたので、天井しか見えませんでしたが、今回は歩いての移動です。

中央手術室と書かれたドアを通過するとまず前室があり、今日の予定が書いてあったり、ちょっとした診察台が置いてありました。

その奥にいくつかの手術室があります。自分は第5手術室だそうです。

手術室まで案内されて、自分で手術台の上に仰向けになりました。

左腕を真横に伸ばされたら、これが痛いのなんの。リハビリでもまだ真横に伸ばしたことがなかったので、3週間ぶりの動作に筋が伸びません。右半身の下に枕を詰めて、体を少し左に傾けてもらいました。

手術は思っていたよりも痛くありませんでした。

痛くなかったとはいえ、ピンを抜かれたときは、奥歯を抜いた時の感覚がよみがえりました。

創外固定具がなくなり、手首がフリーになったら、実は手首も動かなかったことを知りました。

患部の処置をした後、シーネという添え木を腕にはめて完了です。
そう、シーネって要するに添え木のことらしいのですが、実際は樹脂製で腕から手背にフィットするように成形してあって、 「あてる」というよりは「はめる」という感じです。

手術中も、ドクターが色々と話しかけてきてくれたりして、最後までリラックスした状態で手術を終えることができました。

手術が終わり、部屋に戻るとほどなくリハビリの先生が来てくれました。

「1時間ぐらいでまた来るからリハビリしようか。」

て先生、まだ穴ふさがってないんじゃないですか?出血しないんですか?

などという心配は杞憂に終わり、みっちりとリハビリしてもらいました。

しかも、自分で着脱しやすいようにと、シーネをベルクロ仕様に改良してくれました。

リハビリ

2016年5月18日(水)

今の状態はというと、
  • 肩は動かず、触っても感覚がない。
  • 肘を伸ばすことはできるが、曲げることはできない。
  • 親指は、指先から付け根まで痺れてほとんど動かない。
  • 人差し指から小指は、多少動くものの、握るには程遠い。
  • 中指と小指は指先が痺れている。
といった感じでしょうか。指が曲がりにくいのは、いまだに指が腫れているせいもあります。
創外固定具や中手骨のピンの影響もあるようです。
周りの入院患者に言わせると、「やっと人間らしい色になってきたねー」なのだそうです。

リハビリの先生が毎日来てくれて、指の曲げ伸ばしをしてくれます。
腫れているせいもあるのでしょうが、関節が固くなっているので、1本ずつ、ゆっくりと徐々に曲げていきます。十分曲がるようになったら、まっすぐ伸ばします。されているときの感覚では、手の甲にさわりそうなぐらいの痛さですが、実際はせいぜいまっすぐ伸びている程度です。

あとは、腕を持って動かします。これは自分ではできないので、動かしてもらうと気持ち良いです。

テーブルにタオルを置いて、そこに腕を置き、テーブルの上を滑らせるように体を動かせば同じような運動になると教えてもらいました。

曲げ伸ばしをした指も、少し経つだけでまた固くなるので、ヒマをみては自分で指の曲げ伸ばしをします。

曲げ伸ばしをすることで、血流が良くなれば、その分、腫れが引くのも早くなるそうです。

ということで、せっせと指の曲げ伸ばしに励んでいます。

供述調書

2016年5月16日(月)

群馬県警長野原警察署交通課の方が病院まで来てくださいました。

目的は、診断書を取りに来られたのと、供述調書を作成するためです。病院では面談室を空けておいてくれました。

いらしたのはまだ若い感じの担当官お一人で、制服の上にパーカーを着ているので、一見すると警察官に見えません。

診断書は事前に取得して、内容を電話で連絡済みです。

調書の作成はインタビュー形式で行われ、担当官はどんどんパソコンに打ち込んでいきます。

終始和やかな雰囲気でインタビューは終了し、出来上がった調書をその場で印刷します。

内容を確認したら署名と捺印をして終了です。

それでも終わってみれば1時間を超えていました。

さすがに本人控えはないそうです。。。

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今日は誕生日でした。

病院の夕食に、バースデーカードと一口サイズのチョコムースが付いてきました。

うれしいサプライズでした。

抜糸

2016年5月11日(水)

手術で縫い合わせたところの抜糸をしました。

腕のほうは細い糸で、ハサミで切りながらピンセットで抜いても、特に痛みはありませんでした。

肩の方はホッチキスのようなもので止めてあったようですが、こちは少しチクチクしました。

腕も肩もしびれて鈍くなっているので、そうでなければ、もっと痛かったかもしれません。

19日に創外固定具除去手術をすることになりました。

病院連携で筑波大学病院側の受け入れも決まりました。

退院も、21日以降であれば、こちらの都合の良い日で決めてよいと言ってくださいました。


キズの下に書いてあるのは制限速度ではありません。念のため。

MRI検査

2016年5月10日(火)

MRI検査に行きました。

MRIは磁気と電波で体の断面を連続スキャンするわけですが、磁気を使う関係上、身に着けている金属類は全部外さないといけません。

僕の姿を見た検査技師が「創外固定具を付けていては無理」と言います。

ドクターに確認したところ、今回の器具はMRI対応のはずとのこと。

検査技師はメーカーにも確認して、やっと、この器具ごとスキャンにかけることを納得してくれました。

手術前、ドクターが、「今回は○△□☆をカーボン製にしておくから。」と言っていましたが、こういう意味だったんだと、いまさら納得しました。



待合室でグロッキー

2016年5月9日(月)

レントゲンを撮りに外来病棟まで行きました。

歩いて行けなくもなかったけど、大事を取って車イスにしました。

ところがレントゲンでなかなか順番が回ってこず、待っているうちに目は回りだすし、あぶら汗は出だすし、とても座っていられなくなりました。

もう限界というところで順番が来て、撮影しているうちにだいぶ収まりましたが、病室に戻った後はしばらく横になったきりで動けませんでした。

寝ている間に鼻汁で鼻腔がふさがることは、いつのまにかなくなりました。

ただ、どうしても一回で数時間の睡眠をとることができません。

1~3時間おきに目が覚めます。

たぶん、健常なときなら無意識に寝返りをうつところ、体が動かなくて目が覚めるのかなと思います。

初シャワー

2016年5月6日(金)

ドクターから許可が出たので、シャワーを浴びることができました。もちろん、一人では無理なので看護師さんに手伝ってもらいながらです。

左腕をポリ袋に突っ込み、サージカルテープで ぐるぐる巻きに固定したら準備完了です。

いままでもタオルで拭いてもらったり、足だけ桶に浸して洗ったりしていましたが、全身をお湯で洗い流したのは久しぶりだったので気持ちよかったです。

終わった後はどっと疲れました。

だけど、こうやって起きて生活すること自体がリハビリなんですけどね。

今回の怪我のまとめ

2016年5月2日(木)

入院して間もなく警察から電話があって、警察に提出するための診断書を書いてもらいました。診断書は2通入っていて、


(1)脳神経外科
病名:急性硬膜下血腫

2016年4月23日交通事故で上記受傷。受傷日より、全治約1ヵ月間の見込み。

(2)整形外科

病名:左腕神経叢損傷、左鎖骨骨折、左橈骨遠位端粉砕骨折、左尺骨遠位端開放骨折、左第5中手骨骨折、左小指挫創

上記のため2016年4月23日初診した。初診日から3ヶ月以上長期の加療を要する見込みであると思われる。

という内容でした。正直、読み方すらわからない漢字のオンパレードに面喰いましたが、ひとつずつググって調べてみました。

急性硬膜下血腫については、自然と血腫が消えるのを待つだけのようです。ただこれがきっかけに慢性になってしまわないよう気を付ける必要があるみたいです。

左腕神経叢損傷については、大学病院のような高度医療の施設じゃないと対応できないらしく、筑波大学付属病院と連携をとってくれることになりました。いまは肩も肘も全く動かないし、指もほとんど動かせません。早く回復できるよう頑張りたいと思います。

左鎖骨骨折はレントゲンで見せられた時、こんなに離れちゃったの?というくらいに、骨が折れて引き離されたらしいです。プレートをあててボルトで固定したそうです。

左橈骨遠位端粉砕骨折とは、左腕の骨のうち、太いほうの骨の、手首に近い部分が砕けてバラバラになっちゃったらしく、ドクターいわく「パズルを組み合わせるかのように」骨を拾い組み合わせた上に、プレート状の人工骨を組み合わせたらしいです。人差し指の付け根あたりから、肘のすぐ下にかけて、創外固定具という器具を腕から骨にねじ込み、クランプで固定してあります。

左尺骨遠位端開放骨折とは、左腕の骨のうち、細いほうの骨の、手首に近い部分が折れて、飛び出しちゃっていたのだそうです。ここもプレートをあててボルトで止めてあるらしいです。

左第5中手骨骨折とは、左手小指の甲の部分が折れたことを言うようです。手の甲からL字型のピンを2本を刺して固定してあるようです。

左小指挫創は、運び込まれたときに縫ってもらった小指のキズのことのようです。

以上が概要ですが、一番厄介なのは神経叢損傷です。元通りは無理としても、どこまで回復できるのか、気にせずにはいられません。


歓迎!お見舞いツーリング

2016年5月1日(日)

古橋さんと熊谷さんが、わざわざバイクでお見舞いに来てくれました。



ふたりとも、遠いところ来てくれてありがとう!
しかも、こんなゴールデンウィークのど真ん中に

腕の写真もついでに