2016年4月28日(木)
いよいよ手術の日になりました。手術は高校生の時の盲腸以来です。家族への説明によれば、5人分の手術をいっぺんにする大手術で長丁場になるそうです。
家族は前日の深夜に茨城を出て、当日の朝に病院へ来ました。
手術は午後1時からの予定です。家族は午前中にドクターからの説明を受け、同意書にサインします。説明にはレントゲン以外にも3Dモデリングなどが用いられ、分かりやすかったそうです。
朝食は無しで、お茶やお水も10時まででした。
自分は体をきれいにしてもらいます。ひげも剃ってもらいました。23日に入院してから一度も便意がなかったので、ベッドの上に吸水シートを引いて浣腸をされました。
時間が来て、ベッドのまま手術室へ運ばれました。
手術台に移動してもらい、入念にポジションを調整されました。
手術は全身麻酔で、麻酔は点滴で行われました。
麻酔を始めますよと言われた気もしますが、それすら覚えていないくらいすぐに意識がなくなりました。
昼の1時から始まった手術ですが、終わったのは夜の8時頃だったそうです。
その間、家族には何度か経過報告があったそうです。
終わって、ドクターから家族に説明があったそうです。術後のレントゲンを見せられた家族は、その人造人間っぷりに驚いたそうです。
自分は9時ごろ目が覚めました。
それから朝までは地獄のようでした。
痛みはありませんでしたが、とにかくどんな格好をしても、どこかが必ずこってしまうような感じで、短時間しか同じ姿勢でいられません。姿勢を変えるといってもバリエーションなどほとんどないにも変わらずです。加えてひどく喉が渇きました。のどが渇いて張り付くようでした。看護師さんに言うと、湿らせたガーゼで口の中を拭いてくれました。そのときにガーゼに含まれた水分を吸って落ち着くことができましたが、とにかく長く感じた夜でした。
次の日の朝、自分で自分の腕をみてびっくりしました。
創外固定具というらしいですが、タオルかけのような棒が自分の腕に生えていたのです。
人生初のICU生活
2016年4月27日(水)
緊急で運ばれてきて、処置室で処置してもらったあと運ばれたのはICUでした。まさか自分がICUに入院するとは夢にも思っていませんでした。
左腕はギブスで固定されて自由に動きません。指はかろうじて数ミリ動く程度です。どの指も腫れて太くなっています。指の腹の側も紫色に内出血していて驚きました。首から両肩も、ぶつけたような内出血状態でした。
左親指がかなりしびれており、布とこすれると痛く感じました。また左肩は感覚がマヒして、肩の上に座布団でも敷いて、その上から触られているような感覚でした。
3日目の検査で、脳の出血が止まっていること確認できました。 歩くのは無理として、起き上がって食事はOKになりました。
ところが起き上がるとすぐに疲れてしまいます。3分もしないうちに頭が重くなってしまうのです。
なので、ドクターからは45度まで起きてよろしいとお許しの出たものの、実際には30度程度までしかベッドを上げられず、その状態で急いでご飯を流し込むような感じでした。
おしっこは尿器(尿瓶)にしました。大は手術後までもよおすことがなかったので、どう処理するつもりだったか不明です。
起き上がれても30度程度なので、基本は横になっているのですが、腕が固定されていて動かせないので、自由に寝返りが出ません。向きを変えるにもバリエーションが限られており、それがかなりのフラストレーションでした。
それから、横になっていると、じわじわと鼻水がたまるような感じで、眠りに落ちそうになると鼻腔がふさがれて、突然息ができなくなり目が覚めてしまうこともしばしばでした。
ICUといっても、ちゃんと個室になっており、携帯もOKでした。
ところが、右腕1本しかも寝たままでiPhone6を操作するには、かなり無理がありました。そこで、GoPro用のグースネックアームに、ダイソーで買ったスマホ自撮棒のホルダー部分を付けて、ベッドのフレームに付けました。これで寝たまま片手で操作できるようになって、大変便利になりました。
手術は28日に行われることになっていましたが、 前々日の26日ICUからHCUに移動し、前日の27日にHCUから一般病棟にある、術後患者用の個室に移りました。
緊急で運ばれてきて、処置室で処置してもらったあと運ばれたのはICUでした。まさか自分がICUに入院するとは夢にも思っていませんでした。
左腕はギブスで固定されて自由に動きません。指はかろうじて数ミリ動く程度です。どの指も腫れて太くなっています。指の腹の側も紫色に内出血していて驚きました。首から両肩も、ぶつけたような内出血状態でした。
左親指がかなりしびれており、布とこすれると痛く感じました。また左肩は感覚がマヒして、肩の上に座布団でも敷いて、その上から触られているような感覚でした。
3日目の検査で、脳の出血が止まっていること確認できました。 歩くのは無理として、起き上がって食事はOKになりました。
ところが起き上がるとすぐに疲れてしまいます。3分もしないうちに頭が重くなってしまうのです。
なので、ドクターからは45度まで起きてよろしいとお許しの出たものの、実際には30度程度までしかベッドを上げられず、その状態で急いでご飯を流し込むような感じでした。
おしっこは尿器(尿瓶)にしました。大は手術後までもよおすことがなかったので、どう処理するつもりだったか不明です。
起き上がれても30度程度なので、基本は横になっているのですが、腕が固定されていて動かせないので、自由に寝返りが出ません。向きを変えるにもバリエーションが限られており、それがかなりのフラストレーションでした。
それから、横になっていると、じわじわと鼻水がたまるような感じで、眠りに落ちそうになると鼻腔がふさがれて、突然息ができなくなり目が覚めてしまうこともしばしばでした。
ICUといっても、ちゃんと個室になっており、携帯もOKでした。
ところが、右腕1本しかも寝たままでiPhone6を操作するには、かなり無理がありました。そこで、GoPro用のグースネックアームに、ダイソーで買ったスマホ自撮棒のホルダー部分を付けて、ベッドのフレームに付けました。これで寝たまま片手で操作できるようになって、大変便利になりました。
手術は28日に行われることになっていましたが、 前々日の26日ICUからHCUに移動し、前日の27日にHCUから一般病棟にある、術後患者用の個室に移りました。
緊急入院の日のこと
2016年4月23日(土)
草津から渋峠に向かい、雪の回廊を走り抜けた我々は、峠で引き返し、万座温泉の露天風呂を目指しました。でも万座温泉には行けず、そのまま入院となってしまったのでした。
引き返してくる際、雪の回廊(復路)を過ぎたところで、一度みんなが揃いました。自分はその時、一番に出発して、みんなの走ってくる姿を写真に撮ろうと思いました。ポイント的には万座スキー場のリフトのあたりか、丁字路を下ったあたりのつもりでした。時間は12時少し前だったと思います。
「よし、行くか!」
先頭を切って飛び出し、中央分水嶺を駆け上がっているまでの記憶はあるのですが、その直後からの記憶がありません。。。
次に意識が戻ったのは救急車の中でした。
「ナガサワさん、ナガサワさん」
「交通事故に遭ったんですよ。覚えてますか?」
「長野の救急病院に向かってますよ。」
というような問いかけがあったような気がします。
車中の様子は思い出せないので、目を開けるには至らなかったのだと思います。
運ばれた病院は、長野県中野市の北信総合病院でした。
病院に着いて、ストレッチャーからベッドに移されるあたりから、意識がハッキリしてきました。
ただ、ぶつかる寸前の記憶もないので、事故と言われても混乱するばかりでした。
「脱がせる必要があるのでウエアやグローブを切ってしまって良いか?」と聞かれたこと。
グローブを外してもらって、指を縫ってもらったことはなんとなく覚えています。
左腕に添え木をあてて、ギプス用のフォーム材か何かでプシュッと一気に固定されたこと。そのとき腕が暖かったこと等も覚えています。
そのあと、レントゲンやCTスキャン、MRIにも入ったと思います。
記憶というか意識は行ったり来たりの状態だった気がします。
そして先生から、脳に少量の出血が見られること、骨が4か所折れていること、神経が何本か抜けてしまったかも知れないこと、の説明があったかもしれません。ただここまで頭の中で整理できてはいなかった思います。
同行した3人とも病院まで来てくれて、夕方には再会することができました。そして事故後の状況について教えてくれました。
僕の自宅へ連絡するために奔走してくれたこと。
見知らぬハーレー乗りのお二人が色々と助けてくれたこと。
そのほかにも総勢、五人くらいの方が、片側通行にするためにずっと車誘導したり、枕になるものを持ってきてくれたり、アルミシートをくれたり、救急車が来るまで助けてくれたこと。
バイクはレッカーで草津側に運ばれたこと。
関係連絡先等々。。。
記憶の抜けている間の僕のトンチンカンな言動等なども教えてくれました。
もう日も暮れてしまい、これから帰っても今日中にはたどり着かないだろうにと思いながら、みんなに感謝するほかありませんでした。
やがて事故の相手が来てくれて、さらに夜も更けてからやっと、茨城から家族が遥々と駆けつけてくれました。その心中やいかほどだったかと思うと、改めて事の重大さが身に染みました。
草津から渋峠に向かい、雪の回廊を走り抜けた我々は、峠で引き返し、万座温泉の露天風呂を目指しました。でも万座温泉には行けず、そのまま入院となってしまったのでした。
引き返してくる際、雪の回廊(復路)を過ぎたところで、一度みんなが揃いました。自分はその時、一番に出発して、みんなの走ってくる姿を写真に撮ろうと思いました。ポイント的には万座スキー場のリフトのあたりか、丁字路を下ったあたりのつもりでした。時間は12時少し前だったと思います。
「よし、行くか!」
先頭を切って飛び出し、中央分水嶺を駆け上がっているまでの記憶はあるのですが、その直後からの記憶がありません。。。
次に意識が戻ったのは救急車の中でした。
「ナガサワさん、ナガサワさん」
「交通事故に遭ったんですよ。覚えてますか?」
「長野の救急病院に向かってますよ。」
というような問いかけがあったような気がします。
車中の様子は思い出せないので、目を開けるには至らなかったのだと思います。
運ばれた病院は、長野県中野市の北信総合病院でした。
病院に着いて、ストレッチャーからベッドに移されるあたりから、意識がハッキリしてきました。
ただ、ぶつかる寸前の記憶もないので、事故と言われても混乱するばかりでした。
「脱がせる必要があるのでウエアやグローブを切ってしまって良いか?」と聞かれたこと。
グローブを外してもらって、指を縫ってもらったことはなんとなく覚えています。
左腕に添え木をあてて、ギプス用のフォーム材か何かでプシュッと一気に固定されたこと。そのとき腕が暖かったこと等も覚えています。
そのあと、レントゲンやCTスキャン、MRIにも入ったと思います。
記憶というか意識は行ったり来たりの状態だった気がします。
そして先生から、脳に少量の出血が見られること、骨が4か所折れていること、神経が何本か抜けてしまったかも知れないこと、の説明があったかもしれません。ただここまで頭の中で整理できてはいなかった思います。
同行した3人とも病院まで来てくれて、夕方には再会することができました。そして事故後の状況について教えてくれました。
僕の自宅へ連絡するために奔走してくれたこと。
見知らぬハーレー乗りのお二人が色々と助けてくれたこと。
そのほかにも総勢、五人くらいの方が、片側通行にするためにずっと車誘導したり、枕になるものを持ってきてくれたり、アルミシートをくれたり、救急車が来るまで助けてくれたこと。
バイクはレッカーで草津側に運ばれたこと。
関係連絡先等々。。。
記憶の抜けている間の僕のトンチンカンな言動等なども教えてくれました。
もう日も暮れてしまい、これから帰っても今日中にはたどり着かないだろうにと思いながら、みんなに感謝するほかありませんでした。
やがて事故の相手が来てくれて、さらに夜も更けてからやっと、茨城から家族が遥々と駆けつけてくれました。その心中やいかほどだったかと思うと、改めて事の重大さが身に染みました。
念願の雪の回廊に満足
2016年4月23日(土)
昨年も雪の回廊を目指して、磐梯吾妻スカイラインまで行ったものの、雪は溶けてしまっており、それが心残りでした。というわけで、今回は、前日に開通したばかりの志賀草津道路へ行ってみました。
集合場所のセブンイレブンを間違えてしまったという伊集院さんとは、奇跡的にも小山市内で合流でき、全員揃ったところでマクドナルドで朝食タイム。
佐野藤岡インターから東北道→北関東道→ 関越道と横断し、渋川インターで降ります。草津への案内に従いバイパスを走ると、あっというまにに草津までたどり着きました。
草津国際スキー場で小休止した後は、一気に渋峠ホテルまで目指します。去年も走ったルートですが、何度きてもテンションが上がる、お気に入り絶景ロードです。
白根山ロープウエイの山麓駅をすぎると、木立が消え視界が広がります。山岳道路の趣が増します。天気も言うことなしで、これぞツーリング!という感じです。思わずヤエーを繰り出します。
殺傷河原を抜け、白根レストハウスを過ぎ、万座温泉への分岐も過ぎ、ぐんぐん高度があがっていきます。
絶景ポイントでもある、馬の背の分水嶺を過ぎると雪の回廊が現れます。大勢の人が写真を撮ったりしています。区間にして数百メートルですが、両脇とも雪の壁になっており、やっと念願かなって雪の回廊を走ることができました。
ほどなく渋峠ホテル/横手山ゲレンデに到着しました。今回はここで引き返すことにします。万座温泉で露天風呂を堪能しようという目論見があるためです。
でも、今回のツーリングはここで終わってしまいます。
万座温泉につく前に自分が交通事故に遭ってしまったからです。
意識が戻ったのは救急車の中でした。クルマとの衝突だったらしいのですが、ぶつかる前もぶつかった後のことも記憶がありません。
中野市の病院までついてきてくれた仲間には、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。
事故現場で色々と尽力してくださった見知らぬ大勢の方々にも感謝です。
あんな山の上まで来てくれた救急や警察の方にも感謝です。
事故のダメージは案外大きく、しばらくはバイクにも乗れそうにありませんが、いつかまた今回の続きに挑戦できたらと思います。
昨年も雪の回廊を目指して、磐梯吾妻スカイラインまで行ったものの、雪は溶けてしまっており、それが心残りでした。というわけで、今回は、前日に開通したばかりの志賀草津道路へ行ってみました。
集合場所のセブンイレブンを間違えてしまったという伊集院さんとは、奇跡的にも小山市内で合流でき、全員揃ったところでマクドナルドで朝食タイム。
佐野藤岡インターから東北道→北関東道→ 関越道と横断し、渋川インターで降ります。草津への案内に従いバイパスを走ると、あっというまにに草津までたどり着きました。
草津国際スキー場で小休止した後は、一気に渋峠ホテルまで目指します。去年も走ったルートですが、何度きてもテンションが上がる、お気に入り絶景ロードです。
白根山ロープウエイの山麓駅をすぎると、木立が消え視界が広がります。山岳道路の趣が増します。天気も言うことなしで、これぞツーリング!という感じです。思わずヤエーを繰り出します。
殺傷河原を抜け、白根レストハウスを過ぎ、万座温泉への分岐も過ぎ、ぐんぐん高度があがっていきます。
絶景ポイントでもある、馬の背の分水嶺を過ぎると雪の回廊が現れます。大勢の人が写真を撮ったりしています。区間にして数百メートルですが、両脇とも雪の壁になっており、やっと念願かなって雪の回廊を走ることができました。
ほどなく渋峠ホテル/横手山ゲレンデに到着しました。今回はここで引き返すことにします。万座温泉で露天風呂を堪能しようという目論見があるためです。
でも、今回のツーリングはここで終わってしまいます。
万座温泉につく前に自分が交通事故に遭ってしまったからです。
意識が戻ったのは救急車の中でした。クルマとの衝突だったらしいのですが、ぶつかる前もぶつかった後のことも記憶がありません。
中野市の病院までついてきてくれた仲間には、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。
事故現場で色々と尽力してくださった見知らぬ大勢の方々にも感謝です。
あんな山の上まで来てくれた救急や警察の方にも感謝です。
事故のダメージは案外大きく、しばらくはバイクにも乗れそうにありませんが、いつかまた今回の続きに挑戦できたらと思います。
バイクで桜の下を走ってきました
2016年4月11日(月)
すでに満開を過ぎて散り気味の桜ですが、ちょうど満開の時期にバイクで桜の下を走ってきました。
1本目は広域農道カントリーラインです。
ゴルフ場の脇を通るときが、まさしく桜のトンネルをくぐる感じです。
2本目は農林さくら通りです。
こちらはお花見でも有名なスポットで毎年大勢の花見客で賑わいます。
残念なのは、SJ4000だと白トビしてしまうことと、画角が斜めになってしまったことです。上を見上げたつもりでしたが、画面で見ると斜めになってしまうんですね。
すでに満開を過ぎて散り気味の桜ですが、ちょうど満開の時期にバイクで桜の下を走ってきました。
1本目は広域農道カントリーラインです。
ゴルフ場の脇を通るときが、まさしく桜のトンネルをくぐる感じです。
2本目は農林さくら通りです。
こちらはお花見でも有名なスポットで毎年大勢の花見客で賑わいます。
残念なのは、SJ4000だと白トビしてしまうことと、画角が斜めになってしまったことです。上を見上げたつもりでしたが、画面で見ると斜めになってしまうんですね。
【地元スポット紹介】シャトーカミヤの桜まつり
2016年4月9日(土)
茨城にも桜の名所はたくさんありますが、牛久で一番といえばやっぱり牛久シャトーでしょう。今年の桜まつりは3月19日から4月10日まで行われています。
今年はシャトー本体の修繕も終わり、その姿を見ることができるようになりました。
茨城にも桜の名所はたくさんありますが、牛久で一番といえばやっぱり牛久シャトーでしょう。今年の桜まつりは3月19日から4月10日まで行われています。
今年はシャトー本体の修繕も終わり、その姿を見ることができるようになりました。
牛久シャトーと言えば、ガーデンバーベキューが有名ですね。
レストランキャノンで結婚式を挙げたカップルも大勢います。
奥に見えるのは資料館です。以前は貯蔵庫だったそうです。
お土産屋さんもいつの間にかオシャレになってますね。
もちろん、桜の季節以外でもツーリングでの立ち寄りにはオススメのスポットです。
シャトーカミヤ公式サイト
牛久市観光協会Facebook
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