緊急入院の日のこと

2016年4月23日(土)

草津から渋峠に向かい、雪の回廊を走り抜けた我々は、峠で引き返し、万座温泉の露天風呂を目指しました。でも万座温泉には行けず、そのまま入院となってしまったのでした。

引き返してくる際、雪の回廊(復路)を過ぎたところで、一度みんなが揃いました。自分はその時、一番に出発して、みんなの走ってくる姿を写真に撮ろうと思いました。ポイント的には万座スキー場のリフトのあたりか、丁字路を下ったあたりのつもりでした。時間は12時少し前だったと思います。

「よし、行くか!」
先頭を切って飛び出し、中央分水嶺を駆け上がっているまでの記憶はあるのですが、その直後からの記憶がありません。。。

次に意識が戻ったのは救急車の中でした。

「ナガサワさん、ナガサワさん」
「交通事故に遭ったんですよ。覚えてますか?」
「長野の救急病院に向かってますよ。」

というような問いかけがあったような気がします。
車中の様子は思い出せないので、目を開けるには至らなかったのだと思います。

運ばれた病院は、長野県中野市の北信総合病院でした。
病院に着いて、ストレッチャーからベッドに移されるあたりから、意識がハッキリしてきました。

ただ、ぶつかる寸前の記憶もないので、事故と言われても混乱するばかりでした。

「脱がせる必要があるのでウエアやグローブを切ってしまって良いか?」と聞かれたこと。

グローブを外してもらって、指を縫ってもらったことはなんとなく覚えています。

左腕に添え木をあてて、ギプス用のフォーム材か何かでプシュッと一気に固定されたこと。そのとき腕が暖かったこと等も覚えています。

そのあと、レントゲンやCTスキャン、MRIにも入ったと思います。

記憶というか意識は行ったり来たりの状態だった気がします。

そして先生から、脳に少量の出血が見られること、骨が4か所折れていること、神経が何本か抜けてしまったかも知れないこと、の説明があったかもしれません。ただここまで頭の中で整理できてはいなかった思います。

同行した3人とも病院まで来てくれて、夕方には再会することができました。そして事故後の状況について教えてくれました。

僕の自宅へ連絡するために奔走してくれたこと。
見知らぬハーレー乗りのお二人が色々と助けてくれたこと。
そのほかにも総勢、五人くらいの方が、片側通行にするためにずっと車誘導したり、枕になるものを持ってきてくれたり、アルミシートをくれたり、救急車が来るまで助けてくれたこと。
バイクはレッカーで草津側に運ばれたこと。
関係連絡先等々。。。

記憶の抜けている間の僕のトンチンカンな言動等なども教えてくれました。

もう日も暮れてしまい、これから帰っても今日中にはたどり着かないだろうにと思いながら、みんなに感謝するほかありませんでした。

やがて事故の相手が来てくれて、さらに夜も更けてからやっと、茨城から家族が遥々と駆けつけてくれました。その心中やいかほどだったかと思うと、改めて事の重大さが身に染みました。


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