地獄で出会えた、山形弁のホトケさま

2026年8月9日(日)

鳥海山方面へ一泊のソロツーリングに行ってきました。

 


午前5時。まともな人間ならまだ布団の中で幸せな夢を見ている時間だ。特に休日ともなれば。

しかし、バイク乗りという人種は、このクソ早い時間でも既にバイクに跨っている。相棒はホンダ・VFR800F。長距離を走るためだけに過剰なカウルをまとった、いささか大柄で重厚なツアラーだ。つくば牛久ICから圏央道へ滑り込み、常磐道、磐越道へとギヤを上げていく。

7時15分、磐越道阿武隈SA。

ヘルメットを脱ぐと、そこは爽やかな高原の朝だった。V4エンジンは不気味なほど絶好調だ。福島から山形へとさらに北上を続ける。山形PAのスマートICで高速を下り、「JAあぐりん西公園前SS」で14.46リットルのレギュラーを給油。国道13号をスイカの聖地・尾花沢へと向かう。

わざわざイオンタウンのATMに立ち寄り、現金という名の武器を調達。10時30分、「あべ農園」でずっしりと重い尾花沢すいかを仕留めた。お盆で集まった親戚一同をもってしても食べきれないであろうサイズだ。こいつをバイクに積んで走るほど私は愚かではない。さっさと実家へ送る手続きを取る。金で解決できる平和は、大人しく金で買うのが旅の鉄則だ。

11時15分、道の駅とざわ「高麗館」へ。


最上川の美しい緑の中に、突故として現れる韓国風の建物。日本の原風景に強引に割り込む異国情緒のシュールさに苦笑しつつ、冷麺をすする。ピリッとした辛さと容赦ない冷たさが、火照った身体のシステムを強制冷却していく。ここまでは、あまりにも順調すぎた。神様がどこかでニヤニヤしながら、帳尻を合わせるタイミングを計っているとも知らずに。

13時30分、クラゲの聖地・加茂水族館。


お盆の観光地を舐めてはいけない。駐車場待ちは気が遠くなるような大渋滞だ。しかし、親切な警備員さんがこちらに気づいて、自分たちの休憩所兼駐車場スペースまで招き入れてくれた。まさに特等席。館内は人間の熱気で地獄のようだったが、暗闇にゆらめく無数のクラゲたちは、地上の喧騒などどこ吹く風。一瞬だけ、真夏の暑さを忘れさせてくれる静寂がそこにはあった。

悲劇、いや喜劇はここからだ。

加茂港で、海を背景にVFRの格好良い写真を撮ろうと目論んだ。完全に調子に乗っていた。

「あっ」と思った瞬間には、重力という地球の絶対的なルールに抗えなかった。ガシャリ。アスファルトに横たわる相棒。痛恨の立ちゴケである。文明の利器が、ただの鉄の塊に成り下がろうとしていた。

絶望のどん底に突き落とされた俺の前に、一人の男が現れた。たまたま通りかかった地元の漁師だ。

「おぉー、だいじぶだが? どれ、見して見れ」

人懐こい山形弁を操るその男は、現役時代は漁船の機関長まで務めたという、鉄と油の酸いも甘いも噛み分けた本物のプロフェッショナルだった。男は無骨に笑うと、まずは草むらに頭を突っ込み、どこかへ吹っ飛んだ折れたシフトペダルの先っぽを執念で見つけ出してきた。

船とは、いったん出港したらどんなトラブルでも必ず船上で対処するのだそうだ。船が故障して他所の港に停泊するなんて、機関士にとって最大の恥なんだとセンパイは熱く語った。それも今のようにハイテク武装される前の話だけどね、とも付け加えた。

センパイの軽バンには船の修理に必要な道具も部品も積んであるらしく、荷台から見つけてきたアンカーボルトを、インシュロックと針金でギチギチに締め上げていく。その無駄のない手際は、荒れ狂う洋上の機関室で培われた本物の職人技だった。


運が悪いのか、それとも最高に良いのか。九死に一生を得るとは、まさにこのことだ。神様が仕組んだにしては、いささか悪趣味で、そして粋な演出だった。まさに地獄に仏、いや「山形弁のホトケさま」がそこにいた。

男の無骨な優しさに、心の底から感謝した。ありがとうございました、と深く頭を下げ、再び北へと針路をとる。驚いたことに、この機関長印の応急ペダル、帰宅するまでの数百キロの間、ただの一度もグラつくことなく完璧にシフトワークをこなしてくれたのだ。

そんなこんなで、十六羅漢岩に滑り込んだのは16時少し前。


日本海の荒波が打ち付ける火山岩に彫られた石仏群。想像を遥かに超えるその圧倒的な佇まいに、皮肉を言う元気も無くし、ただただ圧倒されっぱなしだった。重機もSNSもない時代に、命がけでこれを彫り上げた先人の執念と力強さは、本当にすごい。現代人がスマホをいじっている時間がいかに滑稽かを思い知らされる。

17時すぎ、ようやく今宵の宿、にかほ市の「たつみ寛洋ホテル」にチェックイン。

ツーリングバッグの中身を全部部屋に放り出し、荷物を空にしたVFRで「道の駅にかほ」へ。お土産を物色し、展望台へ上る。残念ながら鳥海山は恥ずかしがって雲の向こう側だったが、眼下に広がる象潟の平野は見事なものだった。


日没が近くなると、海岸前の広場にはどこからともなく大勢の人間が集まってきた。みんな、ただ太陽が落ちるのを見るためだけに集まっている。念願だった日本海の夕日は言葉を失うほどに美しく、しかしこちらの期待など一考だにせず、何の躊躇もなく水平線の向こうへ落ちていった。ホテルへの帰り際、マックスバリュで食料と冷たいビールを調達し、激動の1日目が終わった。

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翌朝、6時過ぎにホテルを出発。

いつもよりシフトチェンジを控えめにしながら、鳥海ブルーラインを駆け上がる。あのホトケさまが直してくれたアンカーボルトのペダルは、驚くほどスムーズに足の力をトランスミッションへと伝えてくれる。鉾立展望駐車場に着いたのは6時40分頃。お盆の山をなめてはいけない、すでに駐車場はほぼ満車状態だった。

さっきまで海のそばにいたはずなのに、気づけば雲が自分の足もとを流れている。


ブルーラインとはまったく的を得ていて、どこからが空の青で、どこまでが海の青なのか、その境界線が混沌としてしまったように見える。バイクの気温計を見ると、なんと17度。下界の猛暑で汗を流している連中には申し訳ないが、極上の涼しさがジャケットを抜けていった。

鳥海山を駆け下り、国道7号線をひたすら南下する。


鶴岡で再び海岸線に出ると、そこからは名高き「笹川流れ」まで、延々と続くシーサイドランだ。


後からマップで確認して呆れたが、海岸沿いだけで100キロ以上を走破していた。だが、不思議と退屈さは微塵もない。同じ海でありながら、奇岩が現れ、砂浜が広がり、次々と表情を変える景色が、俺とVFRを飽きさせることがないのだ。「また来たい」などと感傷的な言葉が頭をよぎった。


「道の駅 笹川流れ」にバイクを停め、新潟名物の「もも太郎」なるアイスキャンディーをかじる。イチゴ味なのに名前はもも太郎。この地方特有のテキトーなネーミングセンスに感心しつつ、冷たさで一気にクールダウンだ。

村上市内のサクマ村上山居SSで14.87リットルを給油し、ここから海に別れを告げて内陸へ。国道113号線を南陽方面へと進む。

お昼少し前、「道の駅 おぐに」で早めの昼食とする。

選んだのは、山形名物の「冷やし鶏肉そば」。

呼ばれて取りに行くと、なんと氷がゴロゴロと浮いている。蕎麦に氷を入れるなどという暴挙が、これほどひんやりと楽しく、ガシガシとした力強い蕎麦のコシを引き立てるとは、食文化とは奥が深い。


川西町付近で国道113号線を離れ、進路を南へ。国道121号線(大峠道路)のダイナミックなトンネル群を抜けて喜多方へと一気に駆け抜ける。

会津若松ICから磐越自動車道へと滑り込み、あとは勝手知ったる我が家へのハイウェイを、V4エンジンを一定 of ビートで刻みながらクルージングするだけだ。

自宅のガレージにVFRを停め、トリップメーターを確認する。

【1137キロメートル】。

ガチガチに番線で固定されたシフトペダルを見つめる。こいつがなければ、俺はあの加茂港で途方に暮れていたはずだ。立ちゴケのハプニング、山形弁の機関長センパイの救いの手、足もとに広がる雲海、そしてどこまでも続く日本海の青。

これだから、バイク乗りという因果な商売はやめられない。相棒のエンジンがパチパチと冷めていく音を聞きながら、早くも次の旅のルートを考えている自分に、つくづく呆れるばかりだった。